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  <title>芸術探訪アートマップ</title>
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  <title>落書きが真の芸術！老人になってたどり着いた真骨頂は愛の形</title>
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      <description>ピカソの絵画形体は、モデルによって模写様式が変化すると言う特異な性質を秘めていますが、この技法は写実性を身に染み込ませ、ポップカルチャーの渦中で誕生した数々の変幻自在なる技から来るものであり、一般的な美術教育を受けただけでは、真似のできることではありません。マスコミの評価が右往左往する中、自信を持って挑んだ新型美術の形成を具現化す ...</description>
        <content:encoded> <![CDATA[
    <p>ピカソの絵画形体は、モデルによって模写様式が変化すると言う特異な性質を秘めていますが、この技法は写実性を身に染み込ませ、ポップカルチャーの渦中で誕生した数々の変幻自在なる技から来るものであり、一般的な美術教育を受けただけでは、真似のできることではありません。マスコミの評価が右往左往する中、自信を持って挑んだ新型美術の形成を具現化することは、絶えず時代の異端児であり続けたピカソにとって、まさにかっこうの玩具と成り下がりました。</p>
<p>例えばピカソの青は、白を多く混ぜた透明感溢れるカラーであり、赤は血と肉の結晶と化した生きる証でもありました。緑と黄色は対比する一つの対角線上になす、補完的役割を負っており、ミクロな世界と宇宙との共通点を見出す物理学者のごとく、ピカソは単純な構図を用いて、喜怒哀楽とそこに派生する空間を瞬時に作り出しました。そしてその表現方法こそ違えど、時代を超えた真のエネルギーとして、放射状に散りばめられた様々なビジョンは、最終形態としてダークな肖像画、裸婦像、風景画へと形を変えていきました。</p>
<p>しかしピカソの中の孤独は、女性を虜にしただけでなく、それを糧に常に大きな一歩を踏み出すと言う、マイナス要素に化学反応を起こさせて、自己の立体的構想が花開いていきました。1950年代にやり遂げた悪なる社会的素因に対する改革宣言は、熱く白光した光電効果のごとく、強烈なインパクトを放ちました。その時にピカソの頭をよぎった若き日の自己に対する挑戦は、単純に子どものような絵を描き、それを具現化していくことによって、マスコミには背を向けられましたが、非常に情熱的な精神と体を磨き上げていったのです。</p>
<p>結果的に落書きはピカソの最大の武器であり、100号のキャンパスに油絵の具をぶちまけるかのごとく、煩雑に描くことによって、ビジョンは崩れ去りましたが、脅威の量産原理が表面化していきました。その中心にいたのが、二人目の妻、ジャクリーヌ・ロックです。ピカソの愛の形は、滑稽なものになり、ついには消え去るのかと疑う人もいましたが、逆に突発的な芸術を生み出していきました。</p>
<p>1930年代の安定的な色彩芸術に次元一つ分の企てをプラスすることによって、導き出された新手法、「ジャクリーヌの肖像画」から香る素直な愛の形体は普遍的なものであり、安心感と緩やかなリズムの調和から老人ピカソの行き着いた先が真の幸せであったことが証明されます。</p>
<p>2014年10月25日、ピカソの誕生日に合わせて、パリのピカソ美術館がリニューアルオープンすることになっていて、アバンギャルドなピカソの作品は、21世紀の今日も最先端を走り続けています。ただ今世紀中にピカソを超える画家が出てくるのか、全てを占う鍵は世界中のアートシーンを見守る以外にありません。身近な題材から、虐殺事件までを網羅したピカソの脳みそが、宇宙の果てまで広がり続けているのであれば、さらに光速を超えるような瞬発的な発想のプラズマ的頭脳構造が必要になってきます。</p>

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        <dc:date>2015-02-20T09:10:00+09:00</dc:date>
        <dc:creator>the-commentary-picasso</dc:creator>
        <dc:subject>archive</dc:subject>
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  <title>落書きが真の芸術！老人になってたどり着いた真骨頂は愛の形</title>
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      <description>ピカソの絵画形体は、モデルによって模写様式が変化すると言う特異な性質を秘めていますが、この技法は写実性を身に染み込ませ、ポップカルチャーの渦中で誕生した数々の変幻自在なる技から来るものであり、一般的な美術教育を受けただけでは、真似のできることではありません。マスコミの評価が右往左往する中、自信を持って挑んだ新型美術の形成を具現化す ...</description>
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    <p>ピカソの絵画形体は、モデルによって模写様式が変化すると言う特異な性質を秘めていますが、この技法は写実性を身に染み込ませ、ポップカルチャーの渦中で誕生した数々の変幻自在なる技から来るものであり、一般的な美術教育を受けただけでは、真似のできることではありません。マスコミの評価が右往左往する中、自信を持って挑んだ新型美術の形成を具現化することは、絶えず時代の異端児であり続けたピカソにとって、まさにかっこうの玩具と成り下がりました。</p>
<p>例えばピカソの青は、白を多く混ぜた透明感溢れるカラーであり、赤は血と肉の結晶と化した生きる証でもありました。緑と黄色は対比する一つの対角線上になす、補完的役割を負っており、ミクロな世界と宇宙との共通点を見出す物理学者のごとく、ピカソは単純な構図を用いて、喜怒哀楽とそこに派生する空間を瞬時に作り出しました。そしてその表現方法こそ違えど、時代を超えた真のエネルギーとして、放射状に散りばめられた様々なビジョンは、最終形態としてダークな肖像画、裸婦像、風景画へと形を変えていきました。</p>
<p>しかしピカソの中の孤独は、女性を虜にしただけでなく、それを糧に常に大きな一歩を踏み出すと言う、マイナス要素に化学反応を起こさせて、自己の立体的構想が花開いていきました。1950年代にやり遂げた悪なる社会的素因に対する改革宣言は、熱く白光した光電効果のごとく、強烈なインパクトを放ちました。その時にピカソの頭をよぎった若き日の自己に対する挑戦は、単純に子どものような絵を描き、それを具現化していくことによって、マスコミには背を向けられましたが、非常に情熱的な精神と体を磨き上げていったのです。</p>
<p>結果的に落書きはピカソの最大の武器であり、100号のキャンパスに油絵の具をぶちまけるかのごとく、煩雑に描くことによって、ビジョンは崩れ去りましたが、脅威の量産原理が表面化していきました。その中心にいたのが、二人目の妻、ジャクリーヌ・ロックです。ピカソの愛の形は、滑稽なものになり、ついには消え去るのかと疑う人もいましたが、逆に突発的な芸術を生み出していきました。</p>
<p>1930年代の安定的な色彩芸術に次元一つ分の企てをプラスすることによって、導き出された新手法、「ジャクリーヌの肖像画」から香る素直な愛の形体は普遍的なものであり、安心感と緩やかなリズムの調和から老人ピカソの行き着いた先が真の幸せであったことが証明されます。</p>
<p>2014年10月25日、ピカソの誕生日に合わせて、パリのピカソ美術館がリニューアルオープンすることになっていて、アバンギャルドなピカソの作品は、21世紀の今日も最先端を走り続けています。ただ今世紀中にピカソを超える画家が出てくるのか、全てを占う鍵は世界中のアートシーンを見守る以外にありません。身近な題材から、虐殺事件までを網羅したピカソの脳みそが、宇宙の果てまで広がり続けているのであれば、さらに光速を超えるような瞬発的な発想のプラズマ的頭脳構造が必要になってきます。</p>

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  <item rdf:about="http://amaki15.blog90.fc2.com/blog-entry-3465.html">
  <title>写真が上達しないって方へ</title>
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      <description>Kodak400X(Cross)新しいサイトは全部これからやっていきたいことですが、その中の１つがカメラの個人レッスン。僕が大阪住まいなので、出張費をもらうとなると、依頼も多くはないとは思うけど、それはまたこれからいい方法が浮かぶかもしれない。たとえば東京に出張とかあれば、無料に出来るか、次の日ってなっても宿代くらいでいけそうだし。それは、ひとまず置い ...</description>
        <content:encoded> <![CDATA[
    <a href="http://blog-imgs-74.fc2.com/a/m/a/amaki15/20150218030651464.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-74.fc2.com/a/m/a/amaki15/20150218030651464.jpg" alt="空03" border="0" width="500" height="345" /></a><div align="right"><font color="#FF3366"><u>Kodak400X(Cross)</u></font></div><br /><a href="http://amaki15.photo/" target="_blank" title="新しいサイト"><span style="color:#00CC33">新しいサイト</span></a>は全部これからやっていきたいことですが、<br />その中の１つがカメラの個人レッスン。<br /><br />僕が大阪住まいなので、出張費をもらうとなると、<br />依頼も多くはないとは思うけど、<br />それはまたこれからいい方法が浮かぶかもしれない。<br />たとえば東京に出張とかあれば、無料に出来るか、<br />次の日ってなっても宿代くらいでいけそうだし。<br />それは、ひとまず置いておいて。<br /><br />名古屋の教室はエンドレスで続いていく教室だったんだけど、<br />開講している時によく言われたのが、<br /><span style="color:#FF9933">「初心者なのでそこに入る勇気が出ない」、<br />「都合がつかなくて、なかなか教室には通えない」、<br />「名古屋は遠くて連続では通えない」、</span><br />この３っが多かったです。<br /><br />だったらこっちから都合をつけますよと思い、<br />個人レッスンをすることに。<br />人それぞれ写真の知識や目指す方向があるので、<br />マンツーマンが一番いいんですよね。<br />じっくり教える事が出来るし、質問もしやすいと思う。<br /><br />これまで写真とずっと向き合って来て、<br />いろんなことを学びました。<br />それをシェアしたいんですよね。<br /><br />写真って奥が深いです。とてつもなく。<br />みんなどっかで壁にぶちあたります。<br />趣味ってそういうものですよね。<br />そこでやめちゃう人もいるんですが、<br />そこを越えた時に、本当の面白さって分かります。<br /><br />趣味は人生を楽しむためのものかもしれないけど、<br />自分を成長させるものでもあります。<br /><br />僕は写真で人生が変わりました。<br />もともとはかなり悲観的な人間だったけど、<br />写真をはじめて、日常の些細なステキに気付くようになりました。<br />物事を見る視点が、+の方向に変わったんですね。<br /><br />そういう喜びも伝えていきたいと思っています。<br /><br /><br />これまでもそういうことは書いて来たけど、<br />ただここで書いていてもダメだなって。<br /><br />実際に対面していくことで、しっかり伝えたいです。<br />もちろん写真の上達方法が先ですが、<br />きっとそういう気持ちも感じて頂けると。<br /><br />個人的には、初心者の方を個展が出来るくらいになるまで<br />育ててみたいというのがあります。<br />その達成感や充実感を感じてもらいたいんですね。<br /><br />なので、写真の超初心者の方や、<br />もっと上手くなりたい方だけでなく、<br />人生をもっと+に変えたいんだって方も、<br />迷わず飛び込んで来て下さい。<br /><br /><br />詳細などはサイトに載せています。<br />お気軽にお問い合わせ下さい！<br /><br /><a href="http://amaki15.photo/" target="_blank" title="http://amaki15.photo/"><span style="color:#0099CC">http://amaki15.photo/</span></a><br /><br /><br /><a href="http://amaki15.photo/" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-74.fc2.com/a/m/a/amaki15/logol.jpg" alt="logol.jpg" border="0" width="200" height="80" /></a>
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        <dc:date>2015-02-19T12:00:00+09:00</dc:date>
        <dc:creator>雨樹一期 (ｱﾏｷ ｲﾁｺﾞ)</dc:creator>
        <dc:subject>お知らせ</dc:subject>
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  <item rdf:about="https://the-commentary-picasso.com/touch/">
  <title>ピカソのタッチは鮮やか！最初から最後まで人間にこだわった描画</title>
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      <description>ピカソが老年期に目指した&amp;#8221;&amp;#8221;子どもが描く絵&amp;#8221;&amp;#8221;の様な自由な表現形態はピカソ独特のタッチで実現させていましたが、幼年期に描いていたのは、闘牛やアカンサスの葉などで、しかも描き方のベースはリアルな写実表現でした。子どもが興味を持ちそうも無いものをじっくり丹念に、鋭い観察眼を持ってして、真のアカデミズムの継承者として、父親から ...</description>
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    <p>ピカソが老年期に目指した&#8221;&#8221;子どもが描く絵&#8221;&#8221;の様な自由な表現形態はピカソ独特のタッチで実現させていましたが、幼年期に描いていたのは、闘牛やアカンサスの葉などで、しかも描き方のベースはリアルな写実表現でした。子どもが興味を持ちそうも無いものをじっくり丹念に、鋭い観察眼を持ってして、真のアカデミズムの継承者として、父親からは絶大な期待を寄せられていましたし、ピカソの才能に喜びを感じながらも、自身も画家の端くれとして、名を残すつもりでいましたが、逆にピカソの才能に感化されてしまい、絵が描けなくなったと言われています。</p>
<p>1895年の「裸足の少女」は、「新古典主義時代」の輪郭の原型と言わしめるほどに、穏やかで素朴な少女の表情を見事にとらえ、ベラスケスの白の影響とピカソ独特の柔らかいベージュが見事なハーモニーを奏でています。要するにピカソは、この当時からすでに人間というものに、異様な執着心を持ち始めていた事が分かります。そして緻密な石膏のデッサンや古典絵画の模写から青年期の大作「初聖体拝領」へと導かれます。ピカソの修行時代の一連の訓練は、人間絵画の形成であり、多くの絵に父親をモデルにして、登場させているところも、ピカソならではのユーモア精神の表れと言えます。</p>
<p>それでも当時ピカソが描いていた絵は10号前後のモノが多く、非常に様子を伺いながら慎重に独自の表現の方向性を探っていた事が分かります。そして現在バルセロナ美術館に所蔵されている1897年の「科学と慈愛」は、ピカソの独自的発想と写実性が一つのビジョンとして、完成を遂げ、青年期の人物描写は究極の位置に配して、幕を閉じます。パリで活躍していたロートレックのポップな表現を取り込んだ「抱擁」は、現実的でありながらも、恋人同士の愛の形を、惜しげもなく画面に浮き立たせています。</p>
<p>パリ時代の幕開けとなった、アールヌーボー的な写実表現は、非常に流行の兆しを感じ取る事のできる作品群で、ピカソが想像していた以上にアバンギャルドな人種がひしめき合っていたため、それらの影響が色濃く絵画に反映され、パステルを用いた瞬間的なフォーカスをそのまま絵画にしているところが、ためらいと湧き出る創作意欲の現れであるとも言えます。ではピカソ絵画の前触れのような経験は、その後にどの様な影響を与えていったのでしょうか。興味深いのが、1933年の「闘牛、闘牛士の死」と言う作品の写実形態とポップ要素が、見事に組み合わさり、ピカソのスペイン時代の記憶のぶり返しのようなものが起こっていることです。</p>
<p>ピカソは19歳でパリに拠点を移して以来、生まれ故郷マラガでの思い出を胸に秘めつつ、パリでの出会いをそのまま絵画にしていましたが、マリー・テレーズやオルガ・コクローヴァなどの身近な女性の肖像画も平行して描きました。晩年は最後の妻ジャクリーヌとの幸せな生活を芸術の糧として、エネルギーを養いながら、自己の人物描写を完全なものとしたのです。</p>

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  <title>ピカソのタッチは鮮やか！最初から最後まで人間にこだわった描画</title>
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      <description>ピカソが老年期に目指した&amp;#8221;&amp;#8221;子どもが描く絵&amp;#8221;&amp;#8221;の様な自由な表現形態はピカソ独特のタッチで実現させていましたが、幼年期に描いていたのは、闘牛やアカンサスの葉などで、しかも描き方のベースはリアルな写実表現でした。子どもが興味を持ちそうも無いものをじっくり丹念に、鋭い観察眼を持ってして、真のアカデミズムの継承者として、父親から ...</description>
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    <p>ピカソが老年期に目指した&#8221;&#8221;子どもが描く絵&#8221;&#8221;の様な自由な表現形態はピカソ独特のタッチで実現させていましたが、幼年期に描いていたのは、闘牛やアカンサスの葉などで、しかも描き方のベースはリアルな写実表現でした。子どもが興味を持ちそうも無いものをじっくり丹念に、鋭い観察眼を持ってして、真のアカデミズムの継承者として、父親からは絶大な期待を寄せられていましたし、ピカソの才能に喜びを感じながらも、自身も画家の端くれとして、名を残すつもりでいましたが、逆にピカソの才能に感化されてしまい、絵が描けなくなったと言われています。</p>
<p>1895年の「裸足の少女」は、「新古典主義時代」の輪郭の原型と言わしめるほどに、穏やかで素朴な少女の表情を見事にとらえ、ベラスケスの白の影響とピカソ独特の柔らかいベージュが見事なハーモニーを奏でています。要するにピカソは、この当時からすでに人間というものに、異様な執着心を持ち始めていた事が分かります。そして緻密な石膏のデッサンや古典絵画の模写から青年期の大作「初聖体拝領」へと導かれます。ピカソの修行時代の一連の訓練は、人間絵画の形成であり、多くの絵に父親をモデルにして、登場させているところも、ピカソならではのユーモア精神の表れと言えます。</p>
<p>それでも当時ピカソが描いていた絵は10号前後のモノが多く、非常に様子を伺いながら慎重に独自の表現の方向性を探っていた事が分かります。そして現在バルセロナ美術館に所蔵されている1897年の「科学と慈愛」は、ピカソの独自的発想と写実性が一つのビジョンとして、完成を遂げ、青年期の人物描写は究極の位置に配して、幕を閉じます。パリで活躍していたロートレックのポップな表現を取り込んだ「抱擁」は、現実的でありながらも、恋人同士の愛の形を、惜しげもなく画面に浮き立たせています。</p>
<p>パリ時代の幕開けとなった、アールヌーボー的な写実表現は、非常に流行の兆しを感じ取る事のできる作品群で、ピカソが想像していた以上にアバンギャルドな人種がひしめき合っていたため、それらの影響が色濃く絵画に反映され、パステルを用いた瞬間的なフォーカスをそのまま絵画にしているところが、ためらいと湧き出る創作意欲の現れであるとも言えます。ではピカソ絵画の前触れのような経験は、その後にどの様な影響を与えていったのでしょうか。興味深いのが、1933年の「闘牛、闘牛士の死」と言う作品の写実形態とポップ要素が、見事に組み合わさり、ピカソのスペイン時代の記憶のぶり返しのようなものが起こっていることです。</p>
<p>ピカソは19歳でパリに拠点を移して以来、生まれ故郷マラガでの思い出を胸に秘めつつ、パリでの出会いをそのまま絵画にしていましたが、マリー・テレーズやオルガ・コクローヴァなどの身近な女性の肖像画も平行して描きました。晩年は最後の妻ジャクリーヌとの幸せな生活を芸術の糧として、エネルギーを養いながら、自己の人物描写を完全なものとしたのです。</p>

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    </item>
  <item rdf:about="https://the-commentary-picasso.com/theweepingwoman/">
  <title>0か100かの存在感！ピカソの最高傑作は「泣く女」か</title>
  <link>https://the-commentary-picasso.com/theweepingwoman/</link>
      <description>「泣く女」のモデルになったドラ・マールと、同時期の愛人、マリー・テレーズは正反対の性格の持ち主であった事が分かります。ドラ・マールは気性が激しくワイルドでありながらも、女性の美しさを危険な色気に変えているようなタイプですが、これは「ドラ・マールの肖像」から「泣く女」、さらに「叫ぶ女」までの一連の作品から言えることです。それに反して ...</description>
        <content:encoded> <![CDATA[
    <p>「泣く女」のモデルになったドラ・マールと、同時期の愛人、マリー・テレーズは正反対の性格の持ち主であった事が分かります。ドラ・マールは気性が激しくワイルドでありながらも、女性の美しさを危険な色気に変えているようなタイプですが、これは「ドラ・マールの肖像」から「泣く女」、さらに「叫ぶ女」までの一連の作品から言えることです。それに反してマリー・テレーズの「マリー・テレーズ・ヴァルテルの肖像」、「花冠をつけたマリー・テレーズ・ヴァルテルの肖像」、「本を読みながら横たわるマリー・テレーズ」の一連の作品から、ピカソがマリー・テレーズを子どものように可愛がっていた事が分かります。</p>
<p>「泣く女」は殺伐とした人間の憎悪を美しく表現したピカソの最高傑作と言う事ができるのも、ピカソがこの世を去って、冷静に全作品を分析する事が可能になったからに他なりません。まずピカソの絵画を評価する時に、写実的な技術がなくなり、ポップカルチャーに目覚めた哀れな男と見れば、評価できる作品は、青年期のベラスケスさながらの絵画以外にありません。そのフィルターで「泣く女」を見ると、「泣く女」の表情と同じように痛々しい印象だけが先走り、美しさを見出すことができないのです。ただこれは150年前のアカデミー人種の考え方なので、今の時代には合いません。</p>
<p>今は写実的な絵画よりも、純粋に楽しめて、安堵できるようなモノが求められているため、ピカソのような異次元空間を往復するような、多面体の絵画は非常に重要価値ある芸術として、生き続けているのです。とくに「泣く女」に関しては、「ゲルニカ」の習作であったにせよ、適度な加減で装飾されたリズム感のある、青、緑、赤、黄色のコントラストも相まって、非現実的な空間が形成されました。</p>
<p>この「泣く女」の構図やパーツ一つ一つを見ると、髪の毛以外の部位が全て角ばっていることに気づかされます。そして涙がしたたる鼻と口元だけがモノクロで、ここになぜ悲しいのか、この後何を思うのか、という前後関係の空間を想像してしまいます。科学的に見れば、「泣く女」という絵の顔はロボットのように皮膚の構造が端的なのですが、全体を改めて確認すると、そこには悲壮感以外何もないのだと、再認識する事ができるのです。そして美しいこの絵画は、同時期に描かれたドラ・マールの他の肖像画に比べて、非常にドラマチックで、画面の空間に無駄が一切ない事が分かります。</p>
<p>しかしこれほどまでに細密にドラ・マールの内面を露呈してしまったことを考えると、この「泣く女」はある種、写実性を帯びた異次元の女と言うこともできます。そして対極的な絵画はこの世に一つしかありません。レオナルド・ダヴィンチの「モナリザ」です。ピカソは死後、より一層人気が高まり、晩年悪い評価を下していたマスコミもこぞって、賛美し始めました。21世紀になって、ピカソの絵画は一枚200億円という値がつけられ、それが1万点以上あると思うと、偉大な画家の可能性には底がないのではないかと思わされます。</p>

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  <title>0か100かの存在感！ピカソの最高傑作は「泣く女」か</title>
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      <description>「泣く女」のモデルになったドラ・マールと、同時期の愛人、マリー・テレーズは正反対の性格の持ち主であった事が分かります。ドラ・マールは気性が激しくワイルドでありながらも、女性の美しさを危険な色気に変えているようなタイプですが、これは「ドラ・マールの肖像」から「泣く女」、さらに「叫ぶ女」までの一連の作品から言えることです。それに反して ...</description>
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    <p>「泣く女」のモデルになったドラ・マールと、同時期の愛人、マリー・テレーズは正反対の性格の持ち主であった事が分かります。ドラ・マールは気性が激しくワイルドでありながらも、女性の美しさを危険な色気に変えているようなタイプですが、これは「ドラ・マールの肖像」から「泣く女」、さらに「叫ぶ女」までの一連の作品から言えることです。それに反してマリー・テレーズの「マリー・テレーズ・ヴァルテルの肖像」、「花冠をつけたマリー・テレーズ・ヴァルテルの肖像」、「本を読みながら横たわるマリー・テレーズ」の一連の作品から、ピカソがマリー・テレーズを子どものように可愛がっていた事が分かります。</p>
<p>「泣く女」は殺伐とした人間の憎悪を美しく表現したピカソの最高傑作と言う事ができるのも、ピカソがこの世を去って、冷静に全作品を分析する事が可能になったからに他なりません。まずピカソの絵画を評価する時に、写実的な技術がなくなり、ポップカルチャーに目覚めた哀れな男と見れば、評価できる作品は、青年期のベラスケスさながらの絵画以外にありません。そのフィルターで「泣く女」を見ると、「泣く女」の表情と同じように痛々しい印象だけが先走り、美しさを見出すことができないのです。ただこれは150年前のアカデミー人種の考え方なので、今の時代には合いません。</p>
<p>今は写実的な絵画よりも、純粋に楽しめて、安堵できるようなモノが求められているため、ピカソのような異次元空間を往復するような、多面体の絵画は非常に重要価値ある芸術として、生き続けているのです。とくに「泣く女」に関しては、「ゲルニカ」の習作であったにせよ、適度な加減で装飾されたリズム感のある、青、緑、赤、黄色のコントラストも相まって、非現実的な空間が形成されました。</p>
<p>この「泣く女」の構図やパーツ一つ一つを見ると、髪の毛以外の部位が全て角ばっていることに気づかされます。そして涙がしたたる鼻と口元だけがモノクロで、ここになぜ悲しいのか、この後何を思うのか、という前後関係の空間を想像してしまいます。科学的に見れば、「泣く女」という絵の顔はロボットのように皮膚の構造が端的なのですが、全体を改めて確認すると、そこには悲壮感以外何もないのだと、再認識する事ができるのです。そして美しいこの絵画は、同時期に描かれたドラ・マールの他の肖像画に比べて、非常にドラマチックで、画面の空間に無駄が一切ない事が分かります。</p>
<p>しかしこれほどまでに細密にドラ・マールの内面を露呈してしまったことを考えると、この「泣く女」はある種、写実性を帯びた異次元の女と言うこともできます。そして対極的な絵画はこの世に一つしかありません。レオナルド・ダヴィンチの「モナリザ」です。ピカソは死後、より一層人気が高まり、晩年悪い評価を下していたマスコミもこぞって、賛美し始めました。21世紀になって、ピカソの絵画は一枚200億円という値がつけられ、それが1万点以上あると思うと、偉大な画家の可能性には底がないのではないかと思わされます。</p>

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        <dc:date>2015-02-18T20:50:00+09:00</dc:date>
        <dc:creator>the-commentary-picasso</dc:creator>
        <dc:subject>archive</dc:subject>
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  <item rdf:about="http://amaki15.blog90.fc2.com/blog-entry-3464.html">
  <title>『雨樹一期 写真事務所Webサイト』</title>
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      <description>これからちょいちょい宣伝していくと思いますが、新しくサイトを立ち上げました。「雨樹一期 写真事務所」http://amaki15.photo/ここできっかけを少し。これまでいろんな場所で展示したり、作品をコンテンツとして提供したりしてきましたが、なんとなく結構やりつくした感があって。もともと目指していた場所よりも随分進んだなーって思っています。足りない部分もめ ...</description>
        <content:encoded> <![CDATA[
    <a href="http://blog-imgs-74.fc2.com/a/m/a/amaki15/web.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-74.fc2.com/a/m/a/amaki15/web.jpg" alt="web.jpg" border="0" width="500" height="411" /></a><br /><br />これからちょいちょい宣伝していくと思いますが、<br />新しくサイトを立ち上げました。<br /><br /><span style="color:#009933"><span style="font-size:large;">「雨樹一期 写真事務所」</span></span><br /><a href="http://amaki15.photo/" target="_blank" title="http://amaki15.photo/"><span style="color:#FF9900">http://amaki15.photo/</span></a><br /><br /><br />ここできっかけを少し。<br /><br />これまでいろんな場所で展示したり、<br />作品をコンテンツとして提供したりしてきましたが、<br />なんとなく結構やりつくした感があって。<br /><br />もともと目指していた場所よりも随分進んだなーって思っています。<br />足りない部分もめっちゃくちゃあるんだけど、<br />はじめの目標はヴィレヴァンで自分の写真が売られることでした。<br />次に個展、そして出版。<br />意外と早い段階でそれを叶えることが出来ました。<br />そこからは流れるようにここまで来たような気がして。<br /><br />出版とか、写真雑誌の連載とか、<br />もう一度やりたいことはたくさんあるけど、<br />新しいことってそんなに思いつかなかったんですよね。<br />ま、一度出来たことくらい目標にしてたらダメですよね。<br />サクっと決まるくらいでないと。<br /><br />で、昨年末くらいからすんごい考えて、いろいろノートに書き出して、<br />それを煮詰めていった中にあったものが、<br />新しいサイトを立ちあげるきっかけになりました。<br /><br />もっと身近なところから喜んでもらえるようなこともしたくて、<br /><span style="color:#FF6699"><span style="font-size:large;">ペットや家族、アーティストの撮影</span></span>をしたいなって。<br /><br />あと、写真はこれまで自分なりにいろいろ学んできたので、<br />それをちょっとシェアも出来たらなと思って、<br /><span style="color:#009900"><span style="font-size:large;">カメラの個人レッスン</span></span>をやりたいって。<br /><br />どっちも依頼されてやったことはあるんですが、<br />楽しかったというか充実感があったんですね。<br /><br />ちゃんとサイトを立ち上げて、料金も設定しておこうかと思って、<br />今月はその作業に追われていました。<br /><br />出来上がったので、公開です。<br /><br />写真はたくさん載っけているので、<br />見るだけでも見たって下さい。<br /><br /><br />写真事務所ってちょっと堅いので、<br />ロゴはPhoto Officeに。<br /><br /><br /><a href="http://amaki15.photo/" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-74.fc2.com/a/m/a/amaki15/logol.jpg" alt="logol.jpg" border="0" width="200" height="80" /></a>
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        <dc:date>2015-02-18T12:00:00+09:00</dc:date>
        <dc:creator>雨樹一期 (ｱﾏｷ ｲﾁｺﾞ)</dc:creator>
        <dc:subject>お知らせ</dc:subject>
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  <item rdf:about="https://the-commentary-picasso.com/vestiges/">
  <title>21世紀の最先端芸術！目を閉じればそこにはピカソの面影</title>
  <link>https://the-commentary-picasso.com/vestiges/</link>
      <description>ピカソが20世紀最大の芸術家と呼ばれるようになったのは、ピカソの後継者たる人物がいなかったことと、古典的な継承なしに、アバンギャルドが発展しすぎたため、あらゆる技法を持つピカソが矢面に立たされた格好になりました。油絵という絵画の表現方法自体が、20世紀のものであるかのような考え方すら、用意に受け入れられるシステムが21世紀に形成されるとい ...</description>
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    <p>ピカソが20世紀最大の芸術家と呼ばれるようになったのは、ピカソの後継者たる人物がいなかったことと、古典的な継承なしに、アバンギャルドが発展しすぎたため、あらゆる技法を持つピカソが矢面に立たされた格好になりました。油絵という絵画の表現方法自体が、20世紀のものであるかのような考え方すら、用意に受け入れられるシステムが21世紀に形成されるという、芸術の混乱状態、麻痺状態、発展志向の増幅が爆発するかのごとく、インターネットと言う一つのチャネルが加えられ、皮肉なことに美術大学の受験者数は年々減ってきています。</p>
<p>真の芸術とは何かを問う若者は影を潜め、まるで若き頃のピカソがアカデミズムに背を向けたように、21世紀の若者もピカソの呪縛から逃れるために絵を描かずに、パソコンのキーボードを打ち始めました。いわゆるスクリプト言語の習得から導き出される最終的な結論は、統計学や実質的な人口に関する調査であり、一見芸術とは無縁の世界に思えますが、それらの事実をコンピューターで色や形に解析して、表現しなおすと言う、驚異的な芸術が誕生し、絵画作品は、蚊帳の外に置かれたような形になりました。<br />
極端なことを言うと最大のアバンギャルドは、映画やポップスなどの音楽であり、そこにはピカソの呪縛は存在しません。なぜなら、ポップスはピカソを知らないアフリカ人が作った音が元になっている上に、映画も独立的な芸術と言われたり娯楽と言われたり、右往左往している状態なので、芸術を意識して映画を作る事はナンセンスではあったのですが、ヨーローッパではそれとは全く逆の方向を向いていました。映画は芸術だから、カンヌ、ベルリン、ヴェネチアの芸術祭として50年以上も継続しているわけです。</p>
<p>このように21世紀の芸術は、娯楽的な要素が充満しているため、その境界線をとっぱらおうということで、「アート」というジャンルが生まれました。芸術＝アートではなく、アート＝芸術チックなモノ、というニュアンスが一般的になったのです。それでは、ピカソの存在意義はどうなるのでしょうか。オブジェや陶器、彫刻やボール紙作品を多数作成したものの描いた油絵は1万点以上にのぼり、ギネス・ワールド・レコードにも登録されたほどです。</p>
<p>内容と絶対数から言うと、ピカソの芸術は20世紀だけのものである筈がないのですが、草間やよいの様なアバンギャルドの代表格でさえ、ピカソを意識して活動していることから、芸術の真髄は、明らかにレオナルド・ダヴィンチなどの超立体派からピカソのようなポップカルチャーを網羅した芸術が21世紀の根底に存在しているのです。</p>
<p>現在の最先端芸術は、確かに多ジャンル化して、その発展が止まないので、国内各地で行われるビエンナーレでは、異常な盛り上がりを見せています。しかし目を閉じればそこには、必ずピカソの影が存在しており、未だにピカソ中心に時代が動いていると言えます。</p>

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        <dc:date>2015-02-17T14:30:00+09:00</dc:date>
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  <title>21世紀の最先端芸術！目を閉じればそこにはピカソの面影</title>
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    <p>ピカソが20世紀最大の芸術家と呼ばれるようになったのは、ピカソの後継者たる人物がいなかったことと、古典的な継承なしに、アバンギャルドが発展しすぎたため、あらゆる技法を持つピカソが矢面に立たされた格好になりました。油絵という絵画の表現方法自体が、20世紀のものであるかのような考え方すら、用意に受け入れられるシステムが21世紀に形成されるという、芸術の混乱状態、麻痺状態、発展志向の増幅が爆発するかのごとく、インターネットと言う一つのチャネルが加えられ、皮肉なことに美術大学の受験者数は年々減ってきています。</p>
<p>真の芸術とは何かを問う若者は影を潜め、まるで若き頃のピカソがアカデミズムに背を向けたように、21世紀の若者もピカソの呪縛から逃れるために絵を描かずに、パソコンのキーボードを打ち始めました。いわゆるスクリプト言語の習得から導き出される最終的な結論は、統計学や実質的な人口に関する調査であり、一見芸術とは無縁の世界に思えますが、それらの事実をコンピューターで色や形に解析して、表現しなおすと言う、驚異的な芸術が誕生し、絵画作品は、蚊帳の外に置かれたような形になりました。<br />
極端なことを言うと最大のアバンギャルドは、映画やポップスなどの音楽であり、そこにはピカソの呪縛は存在しません。なぜなら、ポップスはピカソを知らないアフリカ人が作った音が元になっている上に、映画も独立的な芸術と言われたり娯楽と言われたり、右往左往している状態なので、芸術を意識して映画を作る事はナンセンスではあったのですが、ヨーローッパではそれとは全く逆の方向を向いていました。映画は芸術だから、カンヌ、ベルリン、ヴェネチアの芸術祭として50年以上も継続しているわけです。</p>
<p>このように21世紀の芸術は、娯楽的な要素が充満しているため、その境界線をとっぱらおうということで、「アート」というジャンルが生まれました。芸術＝アートではなく、アート＝芸術チックなモノ、というニュアンスが一般的になったのです。それでは、ピカソの存在意義はどうなるのでしょうか。オブジェや陶器、彫刻やボール紙作品を多数作成したものの描いた油絵は1万点以上にのぼり、ギネス・ワールド・レコードにも登録されたほどです。</p>
<p>内容と絶対数から言うと、ピカソの芸術は20世紀だけのものである筈がないのですが、草間やよいの様なアバンギャルドの代表格でさえ、ピカソを意識して活動していることから、芸術の真髄は、明らかにレオナルド・ダヴィンチなどの超立体派からピカソのようなポップカルチャーを網羅した芸術が21世紀の根底に存在しているのです。</p>
<p>現在の最先端芸術は、確かに多ジャンル化して、その発展が止まないので、国内各地で行われるビエンナーレでは、異常な盛り上がりを見せています。しかし目を閉じればそこには、必ずピカソの影が存在しており、未だにピカソ中心に時代が動いていると言えます。</p>

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